家事問屋が生まれた場所 About - Background
金属加工のまち、燕三条
新潟県の中央に位置する燕市と三条市。
通称「燕三条」と呼ばれるこの地域で、家事問屋は生まれました。
日本を代表する金属加工品の産地として知られ、
カトラリーなどの金属洋食器分野において
国内シェア9割以上を占めています。
![燕三条の地図](https://kajidonya.com/content/wp-content/themes/kajidonya_ver2021/img/about/background_map@1x.png)
![和釘が並んだ画像](https://kajidonya.com/content/wp-content/themes/kajidonya_ver2021/img/about/background_wakugi@1x.jpg)
信濃川の流域でもある燕三条は、
古くから度重なる氾濫により、大きな水害を受けてきました。
そこで江戸時代初期、農民たちに副業として奨励されたのが
当時の建築に欠かせなかった和釘の生産。
近隣で良質な銅が採れた燕では、
鎚起(ついき)銅器と呼ばれる銅製品の製造もはじめます。
![和釘が並んだ画像](https://kajidonya.com/content/wp-content/themes/kajidonya_ver2021/img/about/background_nife@1x.jpg)
明治に入ってからは需要の変化に合わせて、
三条は刃物製造へ、燕は洋食器製造へ転換。
戦後は、当時まだ新しい素材であったステンレスの加工にいち早く着手。
その後も時代に合わせて柔軟に変化を続け、
日本有数のものづくりのまちへ進化してきました。
使い手に寄り添うなかで
生まれた家事問屋
![創業当時](https://kajidonya.com/content/wp-content/themes/kajidonya_ver2021/img/about/background_tsubame@1x.jpg)
私たち下村企販は、
1973年に燕市で生まれた会社です。
その原点は、1874年創業の下村工業にあります。
日本で最初にステンレス製の包丁をつくった会社の一つであり、
包丁以外にもスライサー、ピーラー、キッチンバサミなど
刃物の製造に力を入れてきました。
そして1973年に下村工業の問屋部門として独立したのが下村企販です。
問屋とは、メーカーがつくったのものを仕入れ
小売店などに卸売りをする仲介役のこと。
なかでも産地に根づく問屋、いわゆる「産地問屋」の場合は、
産地のメーカーがつくるものを中心に集め、全国に卸します。
産地を知り尽くした産地問屋だからこそ、
産地の優れたものを目利きすることができるのです。
![現在の店舗](https://kajidonya.com/content/wp-content/themes/kajidonya_ver2021/img/about/background_current@1x.jpg)
下村企販が他の問屋と異なるのは、
製品の仕入れだけでなく、
自社で企画・開発も行うところ。
卸し先の要望を元に企画し、製品に合わせて工場を選び製造を依頼。
使い手の声に耳を傾けることで生まれてくるアイデアと、
つくり手の知識や技術をかけ合わせることで、製品を開発してきました。
こうした使い手に寄り添う姿勢を守りながら、
使い手が今の暮らしで本当に求めているものをつくりたい。
そんな想いから2015年に生まれたのが、自社ブランドの家事問屋です。