【こうばを訪ねて vol.5】建築士から工場の社長へ。デザイン経験者だから見える世界
金属加工品の一大産地、新潟・燕三条で30社以上の工場と一緒に家事道具をつくる、家事問屋。毎日の暮らしの「ひと手間」を助ける道具をお届けしています。
私たちが大切にしていることは、道具と共に、作り手の想いもみなさんへ届けること。
そのために日々工場を訪ねて、作り手と意見を交わし、新たな製品づくりを進めています。
今回訪ねたのは、お玉やトング、おろし金などの調理器具を製造する有限会社 山儀工業所。主に業務用の厨房器具をつくっていて、ステンレス製の中華お玉は全国シェアの大部分を担っているそうです。
業務用製品の頑丈さ・耐久性を活かして、家事問屋では小分け調味ボウルや薬味おろしをつくっていただいています。
山儀工業所との出会いは、下村工業(下村企販のグループ会社)の創業当初から。
創業者の下村栄蔵が弟子に入った工場が、山儀工業所創業者の奥さんの実家だったそう。
以来、付き合いが続いてきたことから2015年の「家事問屋」立ち上げの際にも相談。まだブランドとして確立していないころから、小分け調味ボウルの製造に携わってくれました。
そんな山儀工業所の現在の社長は、樋山義和さん。プレス工場の長男として生まれながらも、高校卒業後は建築関係の学校へ。建築士として働いたのち、30歳の頃に家業へ戻った経歴を持っています。
一度は外の世界へと飛び出した樋山さんがなぜ戻ってきたのか。現在のものづくり業界はどのように見えているのか。建築士を経て見える世界について詳しくお話を伺ってきました。
有限会社 山儀工業所
樋山義和(ひやまよしかず)
高校を卒業後、都内の建築関係の大学へ進学。在学中にイギリスにて本格的に建築を学ぶ。新卒で新潟県内の企業で建築士として働いたのち、家業に入った。
目次
建築士からプレス工へ。50年積み重ねた会社の重みを知る
ー 小さい頃の樋山さんにとって、工場はどんな存在でしたか?
子どもの頃は自宅の隣に工場があったので、プレスの音を子守唄にして眠るような生活。小学生のときの作文では工場を継ぐことを将来の夢として書いていたようです。
ー それがどうして建築士に?
高校生になる前に真剣に将来を考えたときに、町工場は、どうしても油くさくなるし、怪我のリスクもゼロじゃない。それよりは小さい頃から好きだった絵を描くことで生計が立てられないかと、建築士を目指すようになりました。それから東京の建築関係の学校に通って、より本格的に建築を学ぶためにイギリスに留学。25歳くらいで新潟の企業に就職して、建築士として働いてきました。
ー そこから、なぜ家業に戻ってきたのでしょうか?
いろいろな理由があるのですが、ひとつは自分で一通りの仕事ができるようになったことですね。「それなら建築士として独立しようかな」という思考が頭をかすめて、退職を考え始めました。ただ、そのとき親父の体調があまり良くなかったので初めて会社のことを真剣に考えました。僕もそのとき30歳で建築士として経験も積み、考え方も少しずつ変化する時期。僕が建築をやってきた年数と祖父・親父と続けてきた50年の会社、どっちに重みがあるかと考えて、家業へ戻る道を選びました。
ー 建築一筋でやってきた人間としては大きな決断ですね。入社後はどんなお仕事から?
入社してプレス工から始めたのですが、最初は単調な作業の繰り返しに面白さを感じることがなかなかできませんでした。建築士は0から1を生み出す仕事。プレスは1を10にする仕事。そのギャップに折り合いをつけることはできなかったんです。ですが、入社して1ヶ月くらいで父が倒れてしまい、叔父が社長に。それから新製品開発の仕事や、社外の方と創造的な仕事をたくさんできるようになると、ものづくりの面白さをだんだん感じるようになっていきました。 それから10年以上経った2020年に社長に就任しました。
憧れのデザイナーが携わるブランド。家事問屋との出会い
ー 「家事問屋」運営元の下村企販との付き合いはいつからになるのでしょうか?
下村企販のグループ会社・下村工業が創業したときからの付き合いのようです。うちの曾祖母の実家が鎌(かま)を作っていたのですが、下村工業の創業者である栄蔵さんが働きに来てくださっていたみたいで。栄蔵さんが独立するタイミングで調理器具をつくってくれないかと話にきたそうです。
ー もう70年近くの関係になるのですね!家事問屋も立ち上げの時から大変お世話になっています。
最初は「家事問屋で、小さなボウルを作りたいんだ」と相談に来られました。その頃、うちはプリンの型をつくっていたので、それを途中で切ればボウルができるのではないかと考えました。
その後デザイナーの小泉誠さんを迎え、プリン型をもとに、一から型を起こしました。
ー 小泉さんはもともとご存知だったのですよね?
もちろん!建築士でしたし、憧れの人でした。小泉さんのおかげで「このシーンに何があったら素敵なのか」という思考をするようになって、ものづくりの考え方が変わりました。
ものづくりの捉え方が変わった、実店舗での経験
― 以前、家事問屋の取扱店「cotogotoコトゴト」さんで研磨実演をしてくださいましたよね。
いつもはひたすら機械と向き合っているので、使い手であるお客さんと関わる機会はとても魅力でした。僕、基本的にNOを言いたくないんですよ。面倒なことはやらないという人もいますが、僕はどんどんやっていきたいタイプ。こうした機会をいただけて本当にありがたいです。
― 実際にお客さんと接してみてどうでしたか?
建築ではお客さんと接するのが当たり前だったけど、工場に入ってからはほとんどなかったのですごく楽しかったです。使ってくださっている方とお話しできたこともそうですし、研磨実演を通してものづくりを知ってもらえたこともうれしかったです。
― 参加してから変わったことはありますか?
工場にいると、自分たちが作った製品がどんな風に並べられ、販売されているかは全く見えないので、いつも作っている製品がきれいにパッケージされて実際に並んでいるのを初めて目にして、「自分たちはこんなものを作っているんだ」と自信に繋がりました。驚いたのが、百貨店で製品が並んでいるのをみて、設計した家を施主に渡すときと同じ気持ちになったこと。手塩にかけて育ててきた我が子を、旅立たせたような気持ち。こうした気持ちを社員にも味わわせてあげたいなと思いました。
― 2015年から始まった家事問屋。付き合いを続けてきてどうですか?
すごく工場を大切にしてくれるブランドだなと思います。営業担当からもその気持ちが伝わるから、それに応えようとまた頑張れる。常にお客さんの使いやすさを追求しているので、同じ目線でいられることがすごく有難いです。
自分たちが住む地域の凄さをもっと知ってほしい
― 山儀工業所でつくってもらっているもうひとつの製品「薬味おろし」。工場には目立ての職人がいるんですよね?
80代の熟練の職人が目立ての機械を動かしてくれています。彼は10代の頃からやっているので、目立てのプロ。経験と勘の世界なので、叔父と僕も機械は扱えるけど微妙な加減は敵わないですね。
― 工場を見渡すと女性も多いですよね。
女性は細かい作業や黙々と作業することに長けている人が多い。子育てや介護などで決まった時間しか働けない人もいますが、その分集中して作業してくれるのでとても助かっています。
― 産地として燕三条が注目されるようになりましたが、これからの若い世代に伝えたいことはありますか?
いまの若い人は仕事の幅が広がっていますよね。憧れの職業に就くための道も整ってきている。だからこそ、とことん好きなことを追求してほしいと思っています。自分だって若い頃、外の世界に夢を見て出ていった人間。首根っこを押さえて「プレスをやれよ」とはいえません。でも、その前に自分が住んでいる地域で何を作っていて、世間からどんな評価を受けているのかを知る機会はつくってほしい。山儀工業所も燕三条のすごさを伝える役目を果たしていけたらと思っています。
建築士から工場の社長へ ————
お客さんの顔が見えないことに戸惑ったこともあったが、百貨店でパッケージングされた製品が並んでいるようすをみて、家を渡すときと同じ感動を味わった。
ただ製品をつくるだけでなく、その一歩先へ。
「モノ」への思い入れが強い樋山社長だからこそ、きっと見える世界があるはずです。
葛藤を抱えながら歩んできた樋山社長の想いに、家事問屋はこれからも寄り添っていきます。
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