【こうばを訪ねて vol.2】燕市で長く洋食器をつくり続ける覚悟
金属加工品の一大産地、新潟・燕三条で30社以上の工場と一緒に家事道具をつくる、家事問屋。毎日の暮らしの「ひと手間」を助ける道具をお届けしています。
私たちが大切にしていることは、道具と共に、作り手の想いもみなさんへ届けること。
そのために、日々工場を訪ねて、材料の入荷状況や仕事の生産状況、既存製品の反響などを共有し、また新たな製品づくりを進めています。
今回訪ねたのは、新潟県燕市の洋食器メーカー「株式会社トーダイ」さん 。
家事問屋では、味見をするときや火の通り具合を確かめるときに便利な「味見スプーン」を製造していただいています。今回は常務取締役の森山 巧さんにトーダイとして大切にしていることや作り手としての想い、今後の展望について伺いました。
株式会社トーダイ
常務取締役 森山 巧
宮城県生まれ。前職はIT系の企業に勤務していたが、結婚と同時に新潟県へ。技術職を経て、現在は販売業務や品質管理、顧客対応など幅広く担当している。工場内の営業効率化を実行し、納期と品質を守るトーダイの強みを確立した。
目次
洋食器のまち燕市で、後発の洋食器メーカーとしてスタート
― まずは、トーダイさんの事業内容を教えてもらえますか?
トーダイは大きく分けて四つの事業を行っています。一つ目が、ホテルやレストランなどで使う洋食器の製造と販売。二つ目が業務用の厨房備品や卓上備品の仕入れ販売、三つ目がスプーンやボール、タンブラーなどに会社のロゴを入れたりするレーザーマーキングを用いたノベルティの製造販売、四つ目が個別の要望に応じた特注品の製造です。
― そんなに幅広くされているのですね!もともと洋食器メーカーとしてスタートしたのですか?
最初は工場を持たないメーカーとして創業しました。初代の長谷川富夫は洋食器メーカーの老舗「燕物産株式会社」で5年ほど修行をしていました。しかし、当時は社員雇用ではなく、自分で事業を興したほうが儲かる時代。そこで、前職で培った知識と経験を基に昭和28年に洋食器の販売を始めたのです。
― その頃から燕市では洋食器を?
すでに洋食器が元気な時代で大量に輸出をしているころでした。ただ、うちは輸出を視野に入れず、国内販売のみに注力。外注さんに製造をお願いしていたのですが、数が少ないとなかなか注文を受けてくれなくて…昭和44年に自社工場を構えて自分たちで洋食器を作るようになりました。
― 他の洋食器メーカーはずっと海外販売をメインとしていたのでしょうか?
ドルショックをきっかけに輸出が落ち込んだので、他のメーカーも一気に国内に目を向けるようになりました。すると国内の価格も乱れてしまって、安価な品から高価な品まで価格帯の幅が広がっていきました。
確実に、納期に間に合わせる。工場の効率化に注力
― 競合が増えると売上の維持も大変だと思いますが、トーダイさんならではの強みはどこにあるのでしょうか?
納期の面で信頼していただいているのかなと思います。ホテルや飲食店のオープン日は動かせないもの。絶対ずらせない納期にも間に合わせてくれる、と信頼してもらっているような気がします。
― 確実に納期に間に合わせることができるのは、なぜなのでしょうか?
いざとなれば、外注工程を自社内で賄えるようにしています。普段は研磨を外注しているけれど、急ぎのときは研磨も自社内で完結させたりして。あと、注文が見込める製品の材料は、一年分くらいストックすることもありますよ。
― 1年分ですか…!
今はステンレスの価格が高くなっているので。同時に、工程を他の人が確認したり、経験が浅くてもきれいに磨けるように研磨ベルトを導入したりといったことも行いました。
― さまざまな試行錯誤をされているのですね…!効率化を図る上で苦労されたことはありますか?
職人の世界は、今でも勘と経験の世界なんですよ。でも、若手に技術を教えようと思ったときにそれでは伝わらない。 だからこそ、伝えられるところを言語化したり、マニュアルのように見える化したり。工程の内容と前後の流れを理解できるように若手社員としっかりと話すところから始めました。
売上が厳しい時期でも、家事問屋の注文が助けに
― 家事問屋とは5年ほど前から一緒に仕事をしていただいていますが、初めて話を聞いたときはどのように感じましたか?
お話をいただいて、ありがたかったですね。ただ、家事問屋のブランドがあるとはいえ、お互いビジネスなので。流通のことや、金型製作のことなど細かいところも疑問点はお伝えさせていただきました。それでも、しっかり対応いただいたので一緒に製品を作っていければと考えるようになりました。
― 5年間を振り返って、家事問屋と一緒に続けてきてよかったことはありますか?
安定して注文していただけるので助かります。業界全体で暇なときに多めに注文を出してもらったこともありましたよね。
― トーダイさんに作っていただいている「味見スプーン」は家事問屋の中でも人気アイテムになっています。生産納期の調整や材料手配など、とても助かっています。私たちとしてもいつも助けていただいている工場さんです。
そういっていただけてありがたいです。以前、味見スプーンを担当したデザイナーさんがいらしたときに「しっかりと自分の言葉で説明してくれた」と家事問屋さんから伺ったこともありました。私自身、職人を経験してきたからこそ話せる言葉を大切にしているので、嬉しかったですね。
一番長く燕市で洋食器を作っていたい
― 現在、課題だと感じていることはありますか?
会社内の連携ですね。自分の工程が何の役割を果たしていて、どの状態で次の人に受け渡せばいいか。さまざまな工程があるからこそ、人と人との連携だったり、社員一人ひとりの目配り気配りだったり。関わり合いはとても大事ですね。
― 課題に向けてどうしたらいいのでしょう?
社員との対話ですね。実際に洋食器の形を作るのは機械ですが、その機械を使うのは私たち人間。使う側がしっかり理解して使ってあげないと、よい製品も生まれません。
実は金属の状態って温度によって変わるんですよ。暑い日は柔らかくなったり、寒い日は硬くなったり。その変化が分かるようになるまでに2〜3年、対処できるようになるまではかなりの時間がかかります。
こうした細かなところまで気付けるか、気付いて技術的に対応できるか。ベテランや新人、工程の違いは関係なく、お互いに声を掛け合って歩み寄る必要があるのだと思っています。
― 最後に会社としての展望を教えてください。
近年、高齢化や後継者不足に悩む工場は多くありますが、そのなかでも燕市で一番長く洋食器を作り続けたいと考えています。長く続けるためには、自社内で工程を完結させる必要がある。お願いしていた職人さんが高齢で工場を閉める可能性もゼロではないので、技術的に難しい洗浄以外の全工程を自社で賄えればと思っています。最終的には金型まで自社で製造できたら嬉しいですね。
――最後まで残る。
森山さんの発言と強い眼差しが印象的でした。
かつて「洋食器のまち」と呼ばれた燕市ですが、就業者の平均年齢は60代後半(2022年6月現在)。職人の高齢化、後継者不足による廃業が年々増加するなど、数多くの問題を抱えています。
そんななか、トーダイさんは昔から伝わる製造工程を見直し、再構築。経験の浅い職人でも安定した品質を出せる環境を整え、若い人材を積極的に採用してきました。
一番長く作り続ける覚悟。
その覚悟を持ち続けていたからこそ、勘と経験が物をいう職人世界で効率化に踏み切れたのかもしれません。
家事問屋はこれからも、その志に寄り添っていきます。