【家事問屋ものがたり vol.1】ものづくりの町、燕三条
文/藤沢 あかり
わたしたち「家事問屋」が、どんな場所から、どういった想いでお客さまに製品をお届けしているのか。その背景をみなさんにお伝えする「家事問屋ものがたり」
1回目は、家事問屋がある新潟・燕三条というものづくりの町について。この地に長く続く分業制が生み出した、実直で思いやりに満ちた仕事のあり方をお届けします。
まち工場と田んぼの町、燕三条です
続く稜線と畦道を背景に、あちこちから聞こえる金属を削る研磨機の音や、ガシャンガシャンというプレス機の響き。そして工業油のにおい。
ここは新潟・燕三条。新潟のちょうど中腹に位置するエリアに、わたしたち家事問屋はあります。
新潟といえば米どころ。江戸時代、不作の時期に農家が副業として和釘の製造を始めたのが、この町の鍛治産業のはじまりです。そこから、のこぎりや鎌、包丁、カトラリーなどに広がりを見せ、現在の金属産業都市へと発展を遂げました。
フォークやスプーン、鍋やボウルといった台所道具だけでなく、ナイフやハサミ、爪切りなどの刃物、アウトドアのシェラカップなど、きっとみなさんの家庭にもひとつは燕三条生まれの品があるのではないでしょうか。
燕三条には、家族経営のちいさな工場がいくつも集まっています。みな金属加工に携わるひとたちです。いまは少し減りつつありますが、ひと昔前は学校へ行くとクラスのうち7〜8割は親の仕事が金属加工だったというほどでした。
友だちの家に遊びにいくと、金属粉で靴下の裏が真っ黒になるのもよくある話。併設の工場をのぞくと、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんたちが働いている。そんな風景が当たり前にありました。
新潟には有名なラーメンがいくつかありますが、このあたりで主流なのは、たっぷりの背脂と太麺を使ったものです。工場では、お父さんが加工の機械操作をし、お母さんが梱包や出荷を担当して……と、家族総出で仕事をしていますから、出前を頼むことも多かったんでしょう。
背脂で冷めにくく、そして太く伸びにくい麺という特徴が、その背景を物語っています。新潟はカレールウの消費量が日本一という記録もありますから、これもまた忙しい家庭でのお助けメニューだったと考えられそうですね。
技術を持ち寄り支え合う、リレーのようなものづくり
さて、そんなまち工場が集まる燕三条のものづくりは、「分業制」により成り立っています。
たとえば家事問屋の製品のひとつ「横口ボウルザルセット」。注ぎ口、ボウル、ザル、それぞれが別の工場で作られています。
さらにその工場の先にも、なめらかに磨き上げる研磨、金属棒の曲げ加工、パーツの溶接など、工程ごとにその道のプロフェッショナルが携わっています。製品は通いカゴに入れられて、工場から工場へ運ばれるうちに、少しずつ形を変えていきます。
みんなでひとつの製品を完成させているのです。
この地のものづくりは4×100mリレーに似ているかもしれません。スタートダッシュ、カーブ、最後の追い上げなど、それぞれが得意なことを持ち寄って、ひとつのゴールに向かってバトンをつないでいくものづくり。
誰ひとり欠けても、ゴールにはたどり着けません。
どの工場も、得意な分野に特化することで、技術を高めていけるのも分業制の特徴です。その結果、燕三条の技術は全国的に、そして海外からも高い評価を得るようになりました。
大手メーカーの自動車や航空機の部品、家電や工場機器のパーツ、職人が使う大工道具や農具など、あらゆる金属加工品がこの町から生まれています。
ときに難題を持ちかけられても、小規模だからこそ、そのつど応え技術を更新していく。そしてまた、次の製品へと生かされていくのです。
おもしろいことに、みんな自分の持ち場だけを見ているようで、実は次の人が作業しやすいように心配りをしあっています。
逆も然りで、「ここをくっつけるのに、もう少しこの部分を削ってもらえたほうがいい」と感じたら、ひとつ前の工場に声をかけに行く。
誰もが自分の持ち場のプロであり、同時に、一緒に商品を作っている仲間だという連帯感があるんですね。
相手がこうしたら、作業しやすいだろう。こういうふうに変えたら、商品がもっと良くなるんじゃないか。
そういう気持ちや言葉のやりとりが日常的にあるのは、工場同士の距離の近さのおかげであり、みんなで支え合っているというお互いの気遣いや思いやりが満ちている証でもあります。
燕三条は、人のこころが通い合っている町なんです。
一つひとつの工場は、名前が知れているわけでも、規模が大きいわけでもありません。それぞれの技術が工場を支え、そしてその集まりである燕三条という町全体を支えています。
まるで、町全体が巨大なひとつの製造工場のようなもの。一社だけでは盛り上げることはできない、歴史と技術が育んだものづくりの姿勢であり、この町の誇りです。
分業制を守り抜き、未来につないでいくために
分業制のいい部分をお伝えしましたが、深刻な問題も抱えています。職人のみなさんの高齢化と後継者不足です。技術は手から手へ受け継いでいくもの。
マニュアル書には記せない、五感と経験に頼る技術が数多くあり、その集積こそが燕三条の魅力でもあります。
後継者不足は工場の存続に関わります。分業制は、ひとつの製品に何社もの手が加わっていますから、一社の廃業が技術の途絶えとなり、製品によっては二度とつくれないものも出てくる可能性があります。
実際に、この工程はこの職人さんにしかできない!という貴重な技術が数多く存在し、それによって支えられている製品もあります。
工場のみなさんが、次の世代につないでいくための未来への安心と希望を持ってもらえるように。これから先も、ものづくりが続いていき、安定した供給を約束できるように。
家事問屋として、できること、すべきことをいつも模索しています。
燕三条は、ちいさな町です。職人さんやそのご家族と、スーパーや居酒屋などで顔を合わせるのは日常茶飯事。仕事上の付き合いとしてだけではなく、それぞれに家族がいて、暮らしがあることを肌で感じています。
だからこそ、裏切れません。
長く使えるものを、長くつくり続けられるように。そんな家事問屋のものづくりは、この町だからこそ生まれているのです。